史跡 増山城跡 の記事

増山城と長沼城との関係
今年の3月、長野県飯綱町の「いいづな歴史ふれあい館」と佐久間安政(金沢城の初代城主、佐久間盛政の弟、盛次)のご子孫にあたる方から「佐々成政」の婿養子だった「佐久間源六勝之」のことについて教えてくださいとのメールが曲輪の会...

増山城、伝承について
先日、増山城の最後の伝承者といわれる、Tさん宅へお邪魔させていただいた。なかなか日程が合わず、やっと、やっとの念願の訪問となりました!増山城の魅力を感じるには、曲輪を巡るだけでなく、外街道を、内街道を含め、自分だったらど...

増山城跡 観光交流施設「増山陣屋」
来る10月27日、第5回増山城戦国祭りのオープンに向けてどんどん進んでますよー!どんなふうになるのでしょうね?観光交流施設ができることによって、急な雨もしのぐことができます。ますます城攻めが楽しみになりますね! ...

一の丸の采配蘭元気です。
一の丸に自生していた采配欄蘭が弱っていましたので、昨年の12月に会員の高木さんと事務局の柄崎、二人で一の丸の隅に移植してきました。4月の上旬に北陸を通過した爆弾低気圧の影響がないか心配していましたが、元気に育っていました...

増山城跡に説明看板新設
新年度、砺波市は、国指定史跡“増山城跡”の保存・整備に関して、「駐車場の整備」と、「史跡内に説明看板を新設」するとした。 説明看板は、城跡の中核である「一の丸」や「二の丸」などに設置予定で、市教委では、“史跡と調和した...

戦国時代のトイレ
お城のトイレ事情が気になったので少し調べてみた。 戦国時代、城にトイレを造る場合どんな場所を選んだのだろう? 当時、トイレを「雪隠(せっちん)」と呼び、排泄物は「不浄な物」として武士にもとても忌み嫌われていたので、城郭...

戦国時代の馬
増山城跡で解説をしていると「この山を馬が上り下りできたのですか?」と問われた事が何度かあったが、それは現代の馬の大きさを思っての疑問である。 古代から江戸時代までの日本馬は小さく、標準として高さ四尺(約121センチメー...

家紋
日本の家紋は、縄文・弥生土器の文様にその原型を見ることができるようですが、正式には平安時代中期に貴族たちが牛車や装飾品に、目印用として自分のマークを入れたことが発祥とされています。後に武将たちが、戦場で敵味方を区別するた...

「おもてなし武将隊」
全国には「おもてなし武将隊」といわれる人たちが居るようだ。 そう、観光案内等を見ていると有名なお城などに、凛々しい武将姿や足軽の格好をした人、また美しい着物姿の姫たちがいて、案内やパフォーマンス、そして一緒に写真を撮った...

この時期だから「さらさら越え」
天正十二年(1584)十一月末、富山城主の佐々成政が家臣従者100人ばかりを引き連れ厳冬期の北アルプスを越えるという、前人未到の「さらさら越え」を決行したことにについて、日付や人数等については少しずつのずれがあるが、い...